
就農者インタビュー
菅野牧園 菅野義樹さん・菅野美枝子さん
東日本大震災をきっかけに、福島県飯舘村から栗山町に移り住んだ菅野義樹さんと美枝子さん。和牛繁殖のかたわらレストランを営む中で、人を癒やす農村の価値が、いま改めて求められていると感じています。

くりやまを耕すひと


希望の丘から始まる、牛と家族の新しい暮らし。
東日本大震災は、菅野義樹さん一家の暮らしを大きく変えました。
義樹さんの生家は16代続く農家。2011年、東日本大震災と原発事故により住むところも仕事も失った義樹さんと美枝子さんは、生まれたばかりの愛娘を連れて、夫婦ともに学生時代を過ごした北海道に移住しました。当初は飯舘村に帰る可能性も模索しましたが、被災地の行く末が見通せない中、北海道でなりわいを築くことを決意。就農を目指し、2013年に栗山町で研修を始めます。そんなある日、砂利道の先に樽前山と風不死岳が広がる風景を目にした義樹さんは、「ここなら夢がかなえられるかも」と考えます。それは、家族で牛を育てながらファームレストランを開くという夢でした。
研修先との縁でこの土地を得た義樹さんは、2014年に牛を迎え入れ、営農を開始します。肉牛の生産は一般的に「繁殖」と「肥育」に分かれます。菅野牧園は和牛の繁殖農家。お母さん牛に種付けをし、生まれた子牛を約9カ月育てて市場へ送り出す仕事です。「人間でいえば助産師と保育士の仕事」と義樹さん。肥育農家でたくさんのエサを食べても病気になりにくい、健康な牛を育てています。
一方で、お母さん牛は一生に10~12回子牛を生んで役目を終えます。長く一緒にいるからこそ、「家族のような存在」(義樹さん)。だからお肉になった後も、その命を自分たちの手で扱いたい——。そうした思いから、2018年にファームレストランを開店しました。
農村に宿る力を、まちの未来へ。
「この風景は毎日見ても飽きることがない」。美枝子さんは窓に目をやり、しみじみと語ります。「東京から来た子が『東京は空が上にしかないけど、ここは横にもある』と言うのを聞いて驚きました」。
義樹さんも、どんなに仕事でヘトヘトになっても、風景に救われると言います。「ここにいると孤独じゃない。自然に受け入れられている実感がある。”生かされている”という感覚があるんです」。
子牛を育てて出荷し、経産牛をお肉としていただく。その営みの中で、生命の流れを強く意識するようになりました。そのめぐりの一部に自分がいると感じられることが「幸せ」なのだと義樹さんは語ります。
そうしたこの地に宿る力を、美枝子さんはレストランでの接客を通して感じています。「私が作る料理は家庭料理の延長みたいなもの。それでもわざわざお客さまが来てくださるのは、この農村の風景や、この地が生み出す新鮮な素材の力だと思います。ここの野菜は味が濃くておいしいので、塩と油だけでごちそうになるんです」。
菅野牧園ではレストラン営業のほか、体験学習や企業研修の受け入れも行っています。「自然の中で、生きものとしての自分を取り戻す。都会に住む人ほど、その価値を感じてくださいます。農村空間に内在する価値を掘り起こし、言葉にして、多くの方に届けたい。人が集まる、そんなまちにしていきたい」と語る義樹さん。そのまなざしは、自らの暮らしを越え、地域の未来へと向けられています。



